今日もご訪問ありがとうございます(*^_^*)

先週、歯医者のために福岡を訪れました。

お世話になってる村津歯科は、この前、道路が陥没した所の直ぐそばのビルでした。

陥没した翌日が予約日だったのですが、ライフライン停止になっていたためにキャンセルになり、振り替えました。

朝一の飛行機で行き、福岡空港から博多に移動する間、なぜだか「香椎神宮」の文字が目に入って気になっていました。

調べてみると福岡から電車で15分くらいだったので、歯医者の後に香椎神宮に行ってみました。

駅は小さな駅だったのですが、とても大きな神社でした

最初に言ってしまえば、行って良かった神社でした

とても気持ちが良かった

古くから朝廷の崇敬厚く、祈願・奉幣等は宇佐神宮に次ぐ扱いを受け、伊勢神宮、氣比神宮、石清水八幡宮と共に本朝四所と称された。 神亀5年(728年)11月、太宰の官人等が香椎廟を拝んだ後、香椎の浦でつくった大伴旅人らの歌が万葉集に載っている。 「いざ子ども香椎の潟に白栲(しろたへ)の袖さへぬれて朝菜つみてむ」(大伴旅人)(6-957)
武家からも尊崇を集め、室町将軍足利義政、1587年(天正15年)に小早川隆景、江戸時代には代々の福岡藩主の黒田家の造営、修築が伝えられる。
明治時代に官幣大社となる。終戦までは勅祭社に指定され、現在でも十年に一度吉日を選定し、宮内庁より勅使が遣わされている(香椎宮臨時奉幣祭)
~Wikipedia 香椎宮より引用

天皇家由来の由緒ある神社でした

天皇家の方や勅使お手植えの木が境内に多く植えられていました

綾杉というS字に曲がった長寿の木がご神木でした

そばにいると気持ちが良いんですよね。


土地柄か、歴史もあり、砲身が置かれていました

たまたまご祈願をする方がいたので、眺めていたのですが、幣(ぬさ)を振って祓う時に付いている鈴を鳴らして祓っていました。

音によって浄化するのですね~

 

少し先に「古宮」と「不老水」の看板があり、言ってみることにしました。

 

古宮も引用してみます↓

仲哀天皇が熊襲平定のために当地へ下向された時の行宮「橿日宮」の地、また仲哀天王の御神霊を祀った廟が建てられていた当宮起源の地です。現在社殿はなく、そのため古宮と呼ばれています。
入口正面に香椎の地名の由来となった「棺掛椎」があり、奥には橿日宮跡を示す石碑が建てられています。
~香椎宮略誌より引用
「香椎」の名の起こりとなったと伝えられる「棺かけの椎」

だいたい神社を訪れると奥宮と言われる昔の本殿のようなものがあり、たいていそちらの方がそこの土地の気を強く感じます。

この古宮もそんな気がして奥まで足を運んだのですが、こちらも素晴らしい場所でした。

とても良い所を選んで来れたことに

感謝!感謝!(*^_^*)

その先にある「不老水」へも向かいました

 

そこの水は朝廷にも献上されていたそうです

それを飲んだ武内宿祢は、300歳まで生きたというので、飲んでみなければ!

でも吉方では無かったので、味見程度にさせて頂きました。

朝から東京では、11月に珍しい雪になった日だったのに

福岡は、晴天🌞

歩いている冬の服装は、こちらでは完全に浮いてました〜

 

大事に守られてきた湧き水でした


こちらも引用しておきます↓

「日本の名水百選」に選ばれた御神水として水を汲みに来る人が絶えません。不老水と言われるのは、神宮皇后に仕えた武内宿袮(たけのうちのすくね)がこの水で炊飯や神前に供える酒を作り、300歳余りまで長生きしたと伝えられるためです。毎分50リットルの湧出なので、一度に大量の水を汲むと水位が下がってしまいます。香椎宮では取水を時間制限し、朱塗りの社で囲んで御神水を保護。不老水の左手には武内宿袮の屋敷跡も残っています。

~えきまちコミュニケーション 西鉄沿線webより引用

仲哀天皇と神功皇后と素晴らしい業績を残されたのですね

日本の歴史は、知らない事ばかり。

神社を訪れるのは、やっぱり楽しいです


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