ご訪問ありがとうございます(^-^)

 

 

 

さて最終日は、

今回の旅行で調べていても一番わからなかった「六甲比命神社」に向かいます

場所の情報は、”六甲カンツリーハウスの横の道路を降りていく”

のみ。

歩きだし、荷物もあるし、子供もいるし、大丈夫なのか?

不安をかかえながらも

ここまで来たら行ってみるしかありません。

 

 

取りあえず、六甲有馬ロープウェイで有馬温泉から六甲に向かいました

ロープウェイと山上の巡回バスと神戸側に下山するケーブルカーの3つセットになった券を購入しました(大人1750円)

荷物は、ロープウェイ山上駅にロッカーがあり、預ける事が出来ました

六甲カンツリーハウスまでは、歩っても行けるというので、そこから歩き出しました。

六甲カンツリーハウスに着きました

駐車場横に道路があります

そこを降りていきました

降りていくとカンツリーハウスの別な駐車場がまた出てきました

さらに道が狭くなり降りていきます

やっているのか不明な美術館がありました

道もラフになり、心細いですが、さらに降りていきます

 

 

 

ありました~!!!

この看板!

 

この道で合ってました

良かった~(^-^)

 

 

 

さあ、今度はここからは登ります^^;

 

 

登ってすぐに心経岩がありました

般若心経が書かれています

確かに大きいです!

 

 

 

そして雲が岩

雲が岩は、角度を変えて何回撮っても白いもやっとした光が入ります

 

 

かなり急な傾斜を登ると、磐座とお社がありました

 

こちらがお社になります。

 

お社の中には「ご自由にお入り下さい」と書かれていたので

中に入ってお参りさせて頂きました。

こちらでも「ひふみ祝詞」を奏上し、新しい時代開闢のお祝いを述べさせて頂きました。
裏にご神体があり、そちらもお参りさせて頂きました。

瀬織津姫の御陵と言われています
 

さらに上に登って行くと横臥岩と祠がありました

 

 

うん。

何かやわらかいエネルギー?空気?を感じました

優しい感じ。

岩の上で何度か深呼吸。

 



こちらもご縁のある方は、ピンときているはずなので、

ぜひ行って自分で体感してみて下さい

 

何と表現したらよいのか

優しい、やわらかいエネルギーを私は感じました

 

 

これで、瀬織津姫のエネルギーともつながる事ができました

ここに来れた事は、何か意味があったのだと思います。

不安な要素が多い中、本当に来れてよかった

主人と子供にも感謝です

 

 

 

今回の

鞍馬、元伊勢、六甲の三か所をトライアングルで巡れたことは

どうも、昨年の戸隠の九頭竜神社から続いている流れのようです

 

 

ここの神社で知った大江先生の説明から

自分がお参りしてきた意味の一端を知る事が出来ました

以下、大江先生の文を転記しておきます。

2017年に向けて、人間とかみさまとの共同創造の世界に、皆それぞれが意図する事で向かう事の出来る時代になっています

全てを委ねて

愛と調和とともにありますように(*^_^*)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

六甲山の六甲比命神社は瀬織津姫の御陵
六甲の山名を冠する姫神である六甲比命大善神。六甲比命大善神が、『記紀』神話に
記載されず、阪神・北摂地域の伝承にも登場しないことから、どのような御事績を残され
た神であるのか、今まで全く不明でした。
しかしこの謎の神、六甲比命大善神について、『ホツマツタエ』という書物によってひも解く
ことができることが判ってきました。
それによると六甲比命大善神の磐座とは、伊勢神宮祭神、天照大神の后である天照日の
前に向かう姫=向か津姫=瀬織津姫の御陵という推定が成り立つのです。
『ホツマ』は、ヲシテ文字という神代文字を使って全編五七調で貫かれ、天地開闢以来、
景行天皇・日本武尊の時代までの歴史や、神々の様々な教えが記された一大叙事詩です。
御現身(おうつしみ=人の御姿をされる)の天照大神は、「晩年に伊勢の内宮で神上がられ
るときに后の瀬織津姫にご遺言を残された」と『ホツマ』にあります。天照大神は「私は豊受
大神の御陵のある丹後の真名井でともに男性の道を守る。瀬織津姫はヒロタ(廣田神社と
そのかつての領地=六甲山とその周辺一帯)へ行ってワカ姫(天照大神の姉神=神戸市の
生田神社祭神)のご神霊とともに、女性の心を守るように」と御命じになりました。
このとおりなら、瀬織津姫は晩年にこの阪神間へお越しになったことになります。
やがて御現身である瀬織津姫もこの地で神上がられ、その御陵がこの地域のどこかに存在
するのです。その最も有力な比定地が、六甲山頂尾根に位置する六甲比命大善神の磐座
なのです。
六甲山はかつてムカツ峰と呼ばれていました。その後ムコノ山、武庫山となり、ムコには様々な
漢字表記がなされましたが、江戸時代ごろより六甲の漢字が当てられ、明治以降に「ロッコウ」の
音読みで呼ばれるようになって現在に至っています。
伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神は天照大神荒御魂であり、『神道五部書』にはまたの名を「瀬織津姫」
と記されています。天照大神荒御魂は西宮市の廣田神社の主祭神ですが、別名、撞賢木厳魂天疎
向津姫(ツキサカキイズノミタマアマサカルムカツヒメ)と申し上げます。
祭神名の向か津姫と、かつての廣田神社の領地であった向か津峰の山名が一致します。
つまり向か津姫の御神体である荘厳な磐座が鎮座している故をもってこの山が向か津峰と呼ばれた
と考えられ、その後、山名の変化とともに神社名・祭神名も同時に変化していったことからも、六甲
比命大善神が六甲の山名由来の女神であるとみなすのは極めて妥当です。
一方、『ホツマ』には、天忍穂耳命が瀬織津姫の御子神として描かれていますが、天忍穂耳命を主祭
神として祀る神戸市北区の小部杉尾神社と伊丹市の天日神社が、六甲比命の磐座と一直線上に
並んでいることにも瀬織津姫と天忍穂耳命の関係がうかがえます。
また『ホツマ』には天穂日命が瀬織津姫のもとで養育されたことも記されていますが、そのご縁を示す
ように、天穂日命の御陵と推定される磐座が六甲比命大善神の真東、わずか300mの場所に鎮座して
います。これらの神社・磐座の位置関係からも推定し得る神々の御関係は、『記紀』では何もわかりま
せんが、『ホツマ』によって明らかとなります。
以上の事から、六甲比命大善神とは、
天照大神の后神、向か津姫=瀬織津姫であると推定できるのです。
           (大江幸久)
最後までお読み頂きありがとうございました!

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